1ヶ月半で日常英会話力を習得する「ネイティブトーク」お金をかけても、努力してもまったくダメ。
正直、英会話をマスターする事を諦めかけたこともありました。
そこで、わたしは最後の一手にかけました。
それは、「留学」です。
留学すれば、さすがのわたしも英語が話せるようになると思ったんです。
今思えば、バカな話です。
随分長い間英語教育に携わってきた実感として、一言。
「留学すれば英語が話せるようになるというのは、まったくの間違いです」
多額のお金をかけて留学しながら、お金をドブに捨てたような人を何人も見てきました。
「そんなこと言ったって、お前は留学したから英語が話せるようになったのだろう」
この質問に対する答えは、「No」です。
わたしは、留学したから英語を話せるようになったのでは御座いません。
留学先で幸運な出来事に出会ったから、英語がペラペラになったのです。
わたしは英会話をマスターするべく、意気揚々と日本を後にしました。
留学先は、オーストラリアでした。
高校の頃から、サーフィンが大好きだったこともあり滞在場所は海がきれいなパース(Perth)に決めていました。
また、パースは日本人が比較的に少ないと言う事も決め手になりました。
日本人が多いと、どうしても日本語を使う機会が多くなり、留学の意味がないと思ったからです。
さて、「オーストラリアで英会話をマスターする」「思いっきりサーフィンをやる」、ウキウキした気分で旅立ったわたしでしたが、現実は甘いものでは御座いませんでした。
空港到着の瞬間、最初の災難が起きました。
税関に引っかかってしまったのです。
「△%&*■#@@@!!!!」
税関の人は、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
一生懸命わたしにわかるように話しているつもりなのでしょうが、悲しいくらい意味が理解出来ませんでした。
で、どうやらわたしがホストファミリーにお土産として持って行った竹細工が問題だと言う事が分かりました。
オーストラリアに入国する為の書類で「植物の持ち込み」の欄にNoと記入していたのですが、この竹細工がNGだったんですね。
はなはだ不本意ではありましたが、罰金60ドルを支払い、何とかゲートを出ることができました。
空港を出ると頼んでいた送迎の人が待っていました。
「△%&*■#@@@!!!!」
これまた、サッパリわかりませんでした。
おそらく不機嫌な様子から、「何でこんなに遅れたのか?」みたいなことを言っていると思い、適当に応えましたが、向こうもわたしの言うことを理解出来ないようで、送迎の車の中は沈黙の連続でした。
<エライ所に来てしまった・・・>
マジで帰りたくなるような気分でした。
ある程度日本で英語の勉強をしていたわたしでしたが、スピーキングもリスニングもまったく通用しないことを痛感しました。
やがて車は、ホストファミリーの家につきました。
出迎えてくれたのが、エミリーというホストマザーでした。
背の高い金髪の女性でした。
フレンドリーな笑顔が印象的でした。
彼女の第一印象は、すごくいいものでしたが、やはり話すと・・・
最初は、時々、エミリーから日本語で相談を受けることもありましたが、いつしか自然に、全て英語になっていました。
また、1か月半後エミリーと洋画を観に行ったのですが、セリフが理解でき、感動したことを今でも鮮明に覚えています。
勿論、理解出来ないフレーズや知らない単語もありました。
そんな時は「それどういう意味?」「今何て言ったの?」と訊けば、事足りました。
こんなことって、日本語の会話でもありますよね。
エミリーはわたしに「チーチャン」というニックネームをつけてくれ、本当の弟のようにかわいがってくれました。
ビーチやバー、クラブ、カジノなんかにもよく連れて行ってくれました。
余りの中の良さに、エミリーのボーイフレンドがわたしに嫉妬した程でした。
彼女は本当に面倒見のいい女性でした。
わたしの留学期間は当初3カ月の予定でしたが、3カ月延長したいと思いました。
父にその旨、手紙に書いたのですが、彼女も一緒に説得してくれました。
延長したかった理由は、勿論オーストラリアでの生活が最高の重質していて、楽しかったからです。
とにかくエミリーのおかげで、英会話が出来るようになったことが嬉しくて、欧米の友人たちとも遊びまわっていました。
バーでビールを飲みながら、ワーワー騒いだり、芝生の上に寝転がって、将来を語ったりしました。
勿論家でも英語の勉強しをしました。
でも、エミリーにならった勉強法で、1日20分程度でしたが・・・。
多くの日本人留学生は、なかなか英会話がマスターできず、日本人同士で集まってしまいます。
よって、何のために海外に来たのかわからな状態になってしまい、結果、無駄な留学となってしまいます。
わたしは早期に英会話が出来るようになったため、どんどん英語圏の友人が増え、ますます英語力がアップしました。
エミリーの勉強法のおかげで、通じる喜び、聞こえる楽しさを獲得したわたしは、本当に充実した留学生活を送ることができました。
わたしはこの時、以下の確信を持つことができました。
事実、わたしはチンプンカンプンだった時から、
僅か1か月半程度で日常会話には殆ど問題がなくなりました。
つまり、彼女が教えてくれた勉強法、例えば分からないフレーズを使えるようになる方法等を実践する事で、たった1か月半程度で中級レベルの英語力を身につけたのです。
英会話スクールに行っても、高価な教材で勉強しても「英会話がマスター出来ない」という声をよく聞きます。
今、わたしははっきりこう言う事が言えます。
一生懸命勉強してもヒアリングやスピーキングの力が身につかないのは、勉強の仕方が悪いからなのです。
それ以上でも、それ以下でも御座いません。
わたしを含め、過去5,000人の方が、そのことを実証しています。
勉強法次第で、1日20分もトレーニングすれば、1か月半程度でヒアリングもスピーキングもマスター出来るのです。
エミリーの勉強法を繰り返したおかげで、日常会話には支障がなくなったわたしですが、結果が目に見えて現れると、どんどん英語力を高めたいと思うようになりました。
現金なものですが、人間そんなものでは無いでしょうか。
ダイエットでもコレステロールの数値でも、努力しただけ結果が伴えば、どんどんがんばろうとします。
英会話も同じです。
どんどんネイティブが言っていることが聞き取れるようになったり、自分の発音を理解してもらえるようになったりすると、もっと高い英語力を身につけたいと思うようになるものです。
先にも言いましたが、1番大変なのは中級レベルまでで、そのあとの上級レベルまでの過程は、意外と楽なのです。
で、わたしは6か月のオーストラリア留学の後、さらなる英語力アップのためアメリカに渡りました。
基本的な勉強法は、ホストマザーに教えてもらったものでしたが、自分でも改良を加えたり、新しいものを取り入れたりしていきました。
アメリカでも、楽しい毎日でした。
そして1年後、わたしはアメリカを後にし、日本に帰ってきました。
日本に帰国したわたしは、早速英会話の講師になりました。
講師に採用される為には、試験を受けなければなりませんでした。
確か、試験官の前で「『R』と『L』の違いをデモンストレーションせよ」といった試験だったように覚えています。
わたしのデモンストレーションを聞いて、試験官たちは「Great!」何て言っていました。
オーストラリアでチンプンカンプンだった時から、僅か1年半後のことです。
英語講師の試験に受かっただけでは御座いません。
わたしは、カナダ人の恋人までできてしまいました。
愛を告白したり、彼女と付き合いつづける為には、日常会話レベル以上の英語力が必要です。
ジョークや、スムーズな言葉のキャッチボール、ただの日常会話では相手が飽きてしまいますから。
半年くらいたったころでしょうか、彼女が「ビザが切れるの、カナダに帰らなくちゃ」と言いました。
当時のわたしは彼女にぞっこんで、後を追ってカナダに行きました。
カナダでも、わたしは英語講師の職に就きました。
「△%&*■#@@@!!!!」だった時から、僅か2年足らずでカナダで英語を教える立場になったのです。
これって、凄いと思いませんか?
自慢話のようで恐縮ですが、それもこれも全てはエミリーが教えてくれた勉強法のおかげです。
カナダ人の彼女とも、やがて別れの時が来ました。
カナダに行ってから、1年7か月後のことでした。
わたしは、英会話をマスターする為の「勉強法」を本格的に日本で広めることを決意し、帰国の途につきました。
多くの方に早期に英会話をマスターしていただくため、わたしにはいろいろなアイデアがありました。
でも帰国したわたしに、もっと凄いことが待ち受けていました。
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